スミニャック地区にあるヴィラONE ELEVEN(ワンイレブン)のマネージャーMさんが「クルトゥルのナシゴレン(インドネシア風チャーハン)がバリ島で一番好み」とおっしゃったのをきっかけに、Yちゃん&Mちゃんと「どこのナシゴレンが好きか?」てな話になりました。
結局 具体的な店名は挙がらなかったけども、「今や中華系ならどこでもおいしいよね~」と。ジャカルタと書かれているカキリマ(屋台)やワルン(食堂)もわりとハズレない気がします。
かつてはABCサンバル(唐辛子調味料)ベースの、真っ赤な具なしナシゴレンが多かったですよね。水分飛ばさず全体ねっちょり。腹の足しになるだけで味は二の次。
そんな中、クタ地区バグンサリ通り(正式にはクブアニャール通り)にある「パッエコ」は強火でサッと炒めてご飯パラパラ。パンチのある辛さで、夜はローカルと在住者で行列ができるほど混んでました。今も看板ありますが、変わらずおいしいのかしら?もう何年も食べてません。
サヌール地区のバイパス沿いにある「プチャノガンジャカルタ」はガイドブックに載る有名店でした。チャイニーズインドネシアンが大きな中華鍋を振る、ケチャップアシン(醤油)ベースの中華炒飯。週1~2ペースで食べてました。料理人が変わって味が落ちたと聞いてから足が遠のいてます。
当時「プチャノガンジャカルタは旨いけど高い」と言われていました。高いっていくらだったっけ?
友達のみに公開していたサイト「別冊!バリ島通信」に記載がありました。
別冊!バリ島通信
↑画像をクリックするとページにリンクします。
いや~、ダサい!このダサダサなサイトを作ったのは2001年。今からなんと15年前です。

「かつて」が古すぎて、自分でもびっくり。クリックプリーズ!


別冊!バリ島通信の<ローカルの食事>ページによると、プチャノガンジャカルタのナシゴレンは1皿Rp8,000~9,000だったようです。・・・あれ?マジで高くね?当時のレートは1円=Rp75。となると約106~120円。
今でもダルン地区のカキリマ「プトゥラ ブレべス」なら1皿Rp10,000~12,000程度で買えます。1円=Rp120だと約83~100円。うおーー、円換算するとむしろ値下がり!
バリ島 ナシゴレン
ヌサドゥア地区に去年まであったワルンはRp7,000(約58円)だったそうです。採算度外視?!
最近たまに食べるダルン地区の「ワルンラクヤット」は、香港風エビ入りナシゴレンがRp21,000(約175円)。
バリ島 ワルンラクヤット
塩、コショウ、ケチャップアシン(醤油)ベース。エビのほか、玉子、マッシュルーム、グリーンピース、ネギ、にんじん、唐辛子大と具だくさん。もちろんご飯パラパラです。日によってコショウが利きすぎてるときもありますが。
スミニャック地区の「クルトゥル」のナシゴレンはRp35,000(約292円)。
バリ島 Kultur
ケチャップアシン(醤油)ベースで、ご飯も具材もたっぷり。鶏肉、エビ、ネギ、玉子が絶妙に絡み合っておいしいです。目玉焼きは半熟トロリ。場所代を考慮しても値段に見合う、いや値段以上の味かなと。
「バリ島は昔に比べて驚くほど物価上昇!」と言われますが、ローカル飯に限っていえば観光地の有名レストランじゃない限り、実は同額~2倍程度。5倍とか10倍までは跳ね上がってないですね。
<ローカルの食事>ページのブブールアヤム(鶏肉のおかゆ)だって、ダルン地区なら今もRp5,000(約42円)で持ち帰りできます。
自分で書いておきながら、当時サヌールのナイトマーケットでいくらで買ってたんでしょう?ビックリするほど安かったってことはRp2,000(当時約27円)とか?さすがにRp1,000ではなかったような。書いとけ、自分。
エスチャンプルは今だとRp7,000~10,000(約58~84円)します。内容と量によりますね。
バリ島 エスブア―
へー、当時は芋入りだったんだ。そんなの最近見たことないですけど。
バビケチャップ(豚肉の甘辛炒め)はさすがにRp6,000(当時約80円)では今食べられないです。
ダルン地区の激安中華「デウィルジャキ」でもイガバビ(ポークリブ)はRp16,000(約133円)しますから。
バリ島 デウィルジャキ
エスジュル(オレンジジュース)はほぼ倍に値上がり。Rp2,000(約17円)じゃ格安ワルンの店先でアイスティかバリコーヒーしか飲めないですね。
ダルン地区のワルンでエスジュルの相場はRp4,000~5,000(約33~42円)。
クロボカン地区の「ワルンドゥア」では1杯Rp27,000++(約225円)しますわよ、奥さん!その代わり3倍以上濃くておいしいです。ワルンのエスジュルは色水だもの。
バリ島 ワルンドゥア
<レストランの食事>ページのピザも、よく考えるとさほど上がってないような。
当時サヌールのママルチア(もはや閉店)でRp30,000++(当時約400円++)。
今でもマルガリータならクロボカン地区やスミニャック地区でRp40,000++~(約333円++~)食べられます。
欧米人に大人気で「バリ島内で一番おいしい」と言われる「ラバラッカ」はオーストラリアピザはRp65,000++(約541円++)。クァトロフォルマッジ(4種のチーズピザ)がRp69,000++(約575円++)です。
バリ島 ラバラッカ  バリ島 ラバラッカ
寿司は当時の「福太郎1」の刀セットが異常に安かっただけです(笑)握り寿司といいつつ、ちくわ載ってたし。
あの頃は、サヌールといえば日本食は「漁師」しかなく(「相撲」ありましたっけ?)、クタ地区は「福太郎」のほかに「クンティ」、スミニャック地区は「漁師」「花」「竹」ぐらい。たしか「竹II」ができたばかりで、刺身やたこ焼きを食べに行きました。「花」では冷やし中華食べたなぁ・・・(遠い目)。
今はあちこちに増えましたよね。
<サヌールの風景>は今も変わらずのんびり。
バリハイアットホテルが無くなったのと(建替え休業中)、アルスアラムアグムがハーディーズに変わったぐらいでしょうか。
いや、でもよく見るとレストランとホテル&ヴィラが増えました。パサールシンドゥも改築されましたね。
昔からある有名レストランはバトゥジーンバール。もっとハイアット寄りで反対車線でしたけど。緑がいっぱいで行くたびに蚊にさされました。マッシモも・・・あれ?あったっけ?
そうそう、ダナウポソ通りがもっと怪しかったんですよねぇ。夜になるとネオンライトがついてお姉さんが。今はダイビングショップが増えてオサレ通りになりました。
<家の外観><部屋>RIKA Sanur Home Stayの淳子さんちです。間借りしてました。今は母屋がなく、そこがホームステイに。あてくしのいた部屋が子供部屋で、外国人がいた部屋がメインルームになってます。
<クタの風景>は激変しましたね。
まずサヌール地区からクタ地区までの間に信号が1つしかなかったもの。バイクはノーヘルOKでしたし、車はボロボロなトヨタキジャンかセダン車ばかり。
[海岸沿いの道]はパンタイクタ通りですが、緑が多かったですな。ハードロックホテルってまだなかった?
ガンポピーズは1と2とも舗装されてなくて、雨が降ると川に。スカートまくりあげてサンダルを手に、水の中をじゃぶじゃぶ歩いたものでした。タクシーはボートのように水しぶきあげてました。
サリクラブもパディスも爆破される前で、時々踊りに行きました。当時からアパッチもあって、ピーナッツ(今なし)も盛り上がってました。ダブルシックスは出来たばかりで、週末パディスから0時過ぎたらダブルへ移動が一連の流れでしたよね。
あてくし、当時は真っ金髪で色黒(爆)
「1万ルピア超えたらすべて高い!」と騒ぐケチケチ生活を送ってました。たまーーーのご褒美が「ル・ベークショップ」か「バリベーカリー」のスイーツ。
周りの友達も金髪からピンク髪になったり、金髪から坊主やアフロになったり(女子なのに!)、おかしな子が多かったので、そんなに違和感なかったです。そして今もありがたいことに友達です。
ただ当時のデジカメ写真がもうないんです。パソコンのハードディスクが壊れて、データ全部飛びました。フィルムカメラと「写ルンです」は残ってます。ま、あの頃のデジカメって2万画素ぐらいで荒かったからいいや。
懐古主義ではないので、昔が良かったとは言いません。とにかく不便だったし、モノが少なかったし、何をするにも今より大変。そしてバカだったし。もはやBBAですけど。
昔は昔、今は今で。

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